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勝手に町の歴史を紹介!「宮崎県日向市」

2026年08月14日

カテゴリー:勝手に街の歴史を紹介

勝手に町の歴史を紹介!「宮崎県日向市」

宮崎県日向市には、神武天皇のお舟出伝説が残る美々津や大御神社、交易で栄えた細島など、海と深く結びついた歴史が残されています。西南戦争や美々津県、歌人・若山牧水まで、神話から近代へと続く日向市の歩みをたどります。

神話時代からの歴史を有する、歴史深い港町

日本全国には、まだまだ知られていない歴史があります。有名な城や武将だけではなく、普段何気なく歩いている町にも、その土地ならではの物語が残っています。

そこで歴史会では、日本各地の町を勝手に取り上げ、その町の歴史や人物、食、文化などを紹介していく「勝手に町の歴史を紹介!」シリーズを始めました。

今回紹介するのは、宮崎県日向市です。

この街はセミナーで実際に訪れた街でもあります。

「日向」という名前から、神話の世界を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし日向市の歴史を調べていくと、神話だけではありません。

約1500万年前の火山活動によって生まれた大地があり、神武天皇東征のお舟出伝説があり、中世には海外との交易船が出入りし、江戸時代には廻船業で栄えた港町がありました。さらに西南戦争、明治初期の「美々津県」、そして歌人・若山牧水まで。

今回は、そんな古代から近代までさまざまな歴史が重なっている宮崎県日向市を紹介します。

宮崎県日向市はどこにある?

日向市は宮崎県の北東部、日向灘に面した町です。

宮崎市から北へ約60km。宮崎空港からJRを利用すると日向市駅まで約60~70分。車の場合は宮崎ICから東九州自動車道を利用し、日向ICまで約50分です。宮崎市内から車では約90分ほどなので、宮崎観光と組み合わせて訪れることもできます。

市の東側には日向灘が広がり、天然の良港として古くから利用されてきた細島港があります。現在も細島港は重要港湾に指定され、日向市は宮崎県を代表する港湾工業都市として発展しています。

つまり、これから紹介する「海とともに発展してきた日向市」という歴史は、決して過去だけの話ではありません。昔から現在まで「港」がこの町を支え続けているのです。

温暖な気候と海の恵みを持つ日向市

日向市は温暖な気候でも知られています。年間降水量は2,000mmを超える一方、日照時間も2,000時間を超える年があり、雨が多いながら晴天にも恵まれた地域です。

人口は約5万5千人。

海に面していることから水産物にも恵まれていますが、日向市周辺で忘れてはいけないのが「へべす」です。へべすは日向市発祥の香酸柑橘で、料理や飲み物など幅広く使われています。そして日向市を訪れたら食べてみたいのが「天領うどん」。宮崎県北を中心に親しまれているうどんで、日向市民にとって身近な存在です。

歴史を巡りながら、その土地で親しまれてきた食を楽しむ。これも町歩きの醍醐味です。

約1500万年前の火山活動が生んだ日向岬

昔の話から始めましょう。
日向市を代表する景勝地のひとつが「日向岬」です。

現在の日向岬周辺の特徴的な地形は、約1500万年前に起こった大規模な火山活動に由来します。火砕流によって堆積したものが高温と自重によって溶結し、その後冷却する際に収縮してできたのが「柱状節理」です。日向岬では、その柱状節理が日向灘の荒波によって削られ、現在の迫力ある断崖絶壁が形成されています。

その代表が「馬ケ背」

海面から高さ約70mにもなる断崖絶壁が続き、展望台「スケルッチャ!」からは日向灘と独特の海岸地形を一望できます。

さらに有名なのが「願いが叶うクルスの海」。岩場が十字に裂けたように見え、「クルス」はポルトガル語で「十字」を意味します。さらに周囲の岩場と合わせると「叶」という文字のように見えることから、「願いが叶うクルスの海」と呼ばれるようになりました。

しかし、歴史好きとして注目したいのは、この十字形の地形も偶然の観光スポットとして生まれたわけではないということ。約1500万年前の火山活動と、その後の長い年月をかけた海岸侵食が、現在の風景をつくり出したのです。

日向市の物語は、人間の歴史が始まるはるか以前から始まっています。

「日向のお伊勢さま」大御神社

日向岬周辺には、神話に関係する場所も残されています。

その代表が大御神社です。

天照大御神を御祭神とし「日向のお伊勢さま」とも呼ばれています。
伝承では、天孫降臨した瓊瓊杵尊がこの地から大海原を眺め、皇祖である天照大御神を祀って平安を祈ったとされています。さらに神武天皇が東征の際に武運長久と航海安全を祈願したという伝承も残されています。

そして大御神社から歩いて数分の場所にあるのが鵜戸神社。海岸の洞窟の中に鎮座する神社で、洞窟の奥から入口を振り返ると、岩の形と光によって「昇り龍」のような姿を見ることができます。

日向市では、雄大な自然と神話が別々に存在しているのではありません。海、岩、洞窟といった自然そのものが信仰や伝承と結びついているのです。

神武天皇は美々津から東征へ?

日向市の神話を語るうえで、もう一つ外せない場所があります。

それが美々津です。

美々津には、初代天皇とされる神武天皇が大和を目指して東征する際、この地から船出したという伝承が残っています。伝承によると、神武天皇は美々津で船を造り、出発の準備を進めていました。ところが天候の変化などから、予定より早く出発することになります。

人々が慌てて衣のほころびを立ったまま縫ったことが「立縫」という地名の由来になったとされ、準備していた餅と小豆を急いで搗き混ぜて献上したものが、現在の「つきいれ餅(お舟出だんご)」につながったとも伝えられています。

現在も美々津には立磐神社があり、神武天皇のお舟出に関する伝承が残されています。美々津は後世、「日本海軍発祥の地」とも称されるようになり、記念碑も建てられました。

神話が単なる昔話として終わらず、地名、食文化、祭り、神社などに姿を変えて現在まで残っている。ここが美々津の面白いところです。

実は国際的な港だった細島

日向市の歴史で個人的に面白いと思うのが「細島」です。

細島港は天然の良港で、古くから海上交通の拠点として利用されてきました。中世になると、その役割はさらに大きくなります。室町時代には明との貿易に関わる船が細島へ寄港し、戦国時代になると南蛮船も出入りしたとされています。現在の感覚で考えると、宮崎県日向市に中国やヨーロッパにつながる船がやってきていたことになります。

陸路が現在ほど発達していなかった時代、海は巨大な交通網でした。細島はそのネットワークの中に組み込まれた港だったのです。

現代の細島港も物流・産業の重要拠点となっています。
時代によって船や積荷は変わっても「外の世界と日向をつなぐ場所」という役割は受け継がれているのです。

戦国時代の日向と「耳川の戦い」

戦国時代の日向国を語るうえで避けて通れないのが、1578年の耳川の戦いです。九州北部を中心に勢力を拡大していた大友宗麟と、南九州から勢力を伸ばしていた島津氏が激突しました。

ただし注意したいのは「耳川の戦い」という名前ではありますが、主戦場は現在の日向市ではなく、現在の木城町にあった高城周辺です。

では、なぜ日向市の記事で紹介するのか。戦いの名となった耳川は、日向市を流れて美々津で日向灘へと注いでいるからです。

耳川の戦いで大友軍は大敗。この勝利は、その後の島津氏による九州北上への大きな契機となりました。

日向市を歩く際には、目の前を流れる耳川が九州戦国史を代表する合戦の名として残っていることを思い出してみると、風景の見え方も少し変わってくるかもしれません。

高鍋藩の港町として栄えた美々津


江戸時代に入ると、美々津は再び重要な港として登場します。美々津は高鍋藩秋月氏の港として発展しました。瀬戸内や近畿方面との交易が活発になり、廻船問屋や商家が軒を連ねる港町へと成長していきます。

その繁栄ぶりから「美々津千軒」と呼ばれるほどだったとされています。特に江戸末期から明治にかけて、廻船業で大きく繁栄しました。

現在の日向市歴史民俗資料館となっている旧廻船問屋「河内屋」は1855年の建築。河内屋は千石船を所有し、瀬戸内や関西方面の商人たちと取引を行っていました。現在も美々津には白壁や格子、石畳などが残り、立縫地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

神武天皇のお舟出伝説だけでなく、実際の港町としても長い歴史を持っている。美々津は日向市の歴史を象徴する場所と言えるでしょう。

西南戦争と細島

時代は明治へ入り1877年。西郷隆盛を中心とする薩摩軍と政府軍が戦った西南戦争が勃発します。この戦争でも細島港は重要な役割を果たしました。

細島には官軍の軍艦が入港し、兵士を戦場へ送り込みました。さらに旧暦7月15日から8月20日まで、細島の老舗
「摂津屋」が官軍の本営となり、征討総督であった有栖川宮熾仁親王が滞在しています。

そして細島には、現在も「西南の役細島官軍墓地」が残されています。ここには西南戦争に従軍し、命を落とした官軍兵士ら320名が葬られています。

当時、細島には応急的な野戦病院が設置され、その隣接地に墓地が造られました。墓碑を見ると、九州だけでなく東北、中部、関東など全国各地から集められた兵士たちが戦っていたことも分かります。

西南戦争というと鹿児島や熊本をイメージしがちですが、日向市にもその戦争の痕跡が今なお残されているのです。

実は「美々津県」があった!

明治初期には、現在とはまったく違う行政区分が存在しました。その一つが「美々津県」です。

1871年の廃藩置県後、美々津には県庁が置かれ、現在の宮崎県北部を中心とする地域を管轄する美々津県が誕生しました。つまり、現在は日向市の一地域である美々津が、一時期は「県」の中心だったのです。

美々津県は長く続いたわけではありませんが、廃藩置県直後の日本が現在の都道府県に整理されていく過程を知ることができる面白い歴史です。
「昔、美々津県という県があった」

これだけでも、歴史好きなら気になる話ではないでしょうか。

日向市が生んだ歌人・若山牧水

そして近代の日向市を代表する人物が若山牧水です。

牧水は1885年、現在の日向市東郷町坪谷に生まれました。自然を愛し、旅を愛し、酒を愛した歌人として知られ、生涯に数多くの短歌を残しました。現在も日向市には若山牧水の生家が残され、県指定史跡となっています。

また近くには若山牧水記念文学館や牧水公園があり、その生涯や作品、故郷との関係を知ることができます。

日向岬の荒々しい海とはまた違い、牧水が育った坪谷には山や川に囲まれた風景があります。

海の町としての日向市。
山里の町としての日向市。

同じ市内に異なる表情が存在していることも、この町の魅力です。

歴史会なら、日向市をどう広めるか?

さて、ここからは勝手に考えます。
もし歴史会が日向市の歴史を使って地域をPRするとしたら、テーマを「海から見る日向市の歴史」にします。

日向市の歴史を並べてみると、驚くほど「海」が登場します。

約1500万年前の火山活動によって生まれ、日向灘の波によって削られた日向岬。

海に面して鎮座する大御神社。

美々津から船出したと伝わる神武天皇。

明との貿易船や南蛮船が訪れた細島。

高鍋藩の港として栄えた美々津。

瀬戸内や関西を結んだ廻船。

西南戦争で官軍の軍艦が入港した細島。

そして現代の重要港湾・細島港。

こうして見ると
「1500万年前から現代まで、海とともに歩んできた町」

という一本のストーリーを作ることができます。

そこで、まず作りたいのが「日向・海の歴史街道」です。

日向岬・馬ケ背

クルスの海

大御神社・鵜戸神社

細島の港町

美々津の町並み

立磐神社

西南の役細島官軍墓地

と巡れば、自然、神話、中世、江戸、明治までを一日で体感できます。

単に「景色がきれいだから馬ケ背へ行く」「古い町並みだから美々津へ行く」のではありません。

なぜこの地形ができたのか。
なぜここに神話が残ったのか。
なぜ港町が栄えたのか。
なぜ西南戦争で官軍がここを利用したのか。

それぞれを「海」という一本の物語でつなぎます。

そして動画なら、

「1500万年前から続く港町」
「神武天皇はここから日本を目指した?」
「宮崎に南蛮船が来ていた?」
「昔、宮崎県には『美々津県』があった」
「西南戦争で320人の官軍兵士が眠る町」

と、ショート動画にできる題材がいくらでもあります。

さらに子ども向けなら「神武天皇のお舟出」を中心に美々津の町を歩き、最後にお舟出だんごを食べるような歴史体験企画も面白そうです。

歴史は、史跡の前で説明を読んで終わりではありません。町を歩き、景色を見て、食べて、物語を知ることで、その土地への愛着につながっていくものだと思います。

神話だけではない、日向市の歴史

異なる時代の歴史が残っている背景には、日向灘と港の存在があります。海によって削られた大地に人々が暮らし、海から人がやってきて、海から物が運ばれ、海を通じて外の世界とつながってきました。

現在も細島港が宮崎県を代表する物流・産業拠点となっていることを考えると、日向市は今もその歴史の続きを歩んでいるのかもしれません。

神話の町であり、港町であり、近代日本の歴史も残る町。歴史好きの視点から見ると、宮崎県日向市は想像以上に奥深い町でした。

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歴史会講師 井坂陽一

記事の執筆者:

歴史会講師 井坂陽一
歴史会主催 / 講師 
SISeI合同会社 代表

ベーシストとしてロサンゼルスに留学。その後、音楽専門学校講師やREC、LIVEなど音楽活動を続けるが、一転してSISel合同会社を設立。
企業のPVやMVを中心に動画を制作し、中長期的プロモーションの戦略を提案するクリエイティブコンサルタントも行う。
2021年に一般社団法人寺子屋経営塾を新たに立ち上げ「徳ある経営の実践」をテーマに代表理事として運営。歴史やDX、SNSなど、全国でセミナー講師としても活動中。

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