知れば知るほど面白い!いちき串木野市ってどんな町?

日本全国には、まだまだ知られていない歴史があります。有名な城や武将だけではなく、普段何気なく歩いている町にも、その土地ならではの物語が残っています。
そこで歴史会では、日本各地の町を勝手に取り上げ、その町の歴史や人物、食、文化などを紹介していく「勝手に町の歴史を紹介!」シリーズを始めました。
今回紹介するのは、鹿児島県いちき串木野市です。
ここは2025年の年末に私自身がで訪れた街でもあります。
「いちき串木野」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
マグロ、さつま揚げ、神村学園……。
実は歴史好きの視点から見ると、いちき串木野市はとんでもなく面白い町です。
薩摩焼発祥の地があり、幕末には若き薩摩藩士たちがここからヨーロッパへ旅立ち、さらに戦国時代には、あの島津四兄弟の末弟・島津家久がこの地を治めていました。
今回は、そんな「食べても面白い、歩いても面白い、歴史を知ればもっと面白い」いちき串木野市を紹介していきます。
鹿児島県いちき串木野市はどんな町?

いちき串木野市は鹿児島県の薩摩半島西部、東シナ海に面した町です。現在のいちき串木野市は、2005年10月11日に旧串木野市と旧市来町が合併して誕生しました。
市の人口は2026年6月末現在で25,150人、13,108世帯。
決して大きな都市ではありませんが、海と山の両方に恵まれ、歴史・食・文化を非常にコンパクトに楽しめる町です。東京方面から向かう場合は、飛行機で鹿児島空港へ入り、鹿児島市方面を経由して向かう方法が一般的です。
鉄道ではJR鹿児島本線が通っており、鹿児島中央駅から串木野方面へ移動できます。車の場合も鹿児島市方面から国道3号や南九州西回り自動車道を利用できるため、鹿児島観光の中に組み込みやすい立地です。
鹿児島市内だけを観光して帰るのではなく、少し足を延ばしてみると、そこには薩摩の歴史を語るうえで欠かせない町が待っています。
「マグロの町」いちき串木野

いちき串木野市を語るうえで、まず外せないのがマグロです。
串木野は古くから遠洋マグロ漁業との関わりが深い港町。そんな「マグロの町」らしいご当地グルメが、串木野まぐろラーメンです。
マグロというと刺身や寿司を思い浮かべますが、ラーメンにしてしまうところが面白い。さらに、いちき串木野市には鹿児島を代表する食文化の一つであるさつま揚げの文化も根付いています。串木野は、さつま揚げ発祥の地の一つともいわれ、現在でも水産加工業が盛んな地域です。
そして、名前からして気になるのが「いちきポンカレー」。
市来地域の特産であるポンカンを活用したご当地カレーで、歴史だけでなく、その土地ならではの食を楽しめるのも地域を訪れる醍醐味です。さらに、いちき串木野には、
まぐろトロカツ
赤鶏チキンカツ
黒豚メンチカツ
という「三大カツ」もあります。
マグロ、鶏、黒豚。鹿児島らしい食材を一度に楽しめるというわけです。
歴史会として町を紹介するときにも、「歴史だけを見る」のではなく、こうした食文化と組み合わせることで、その土地をより立体的に知ることができます。
サッカーの強豪・神村学園

そして現在のいちき串木野市を全国に知らしめている存在の一つが、神村学園です。特に高校サッカーの強豪として全国的に知られています。
面白いのが、学校のすぐ近くにJR鹿児島本線の神村学園前駅があること。学校と地域との結びつきを象徴するような存在です。
戦国時代の武将や幕末の若者たちだけではなく、現代ではスポーツに打ち込む若者たちが全国へ羽ばたいていく。そんな「人を育て、外へ送り出す町」という見方をすると、後ほど紹介する薩摩藩英国留学生の歴史とも、不思議なつながりを感じます。
食だけでも十分魅力的ないちき串木野市ですが、歴史会として紹介したいのは、もちろんここからです。調べてみると、薩摩・鹿児島の歴史を語るうえで重要な史跡がいくつも残っています。
世界へ広がった「薩摩焼」発祥の地

まず紹介したいのが、薩摩焼発祥の地です。
文禄・慶長の役の後、1598年、島津義弘は朝鮮半島から陶工たちを薩摩へ連れて帰りました。そのうちの一部が現在のいちき串木野市にあたる島平へ上陸し、この地で窯を開いたとされています。
これが薩摩焼の始まりです。
現在、市内の照島には「薩摩焼発祥の地」が史跡として残されています。
後に薩摩焼は海外にも知られるようになり、幕末から明治期には日本を代表する輸出陶磁器の一つとなっていきます。
そう考えると、現在の静かな海岸から、後に世界へ知られる「SATSUMA」の物語が始まったというのは面白いですよね。
日本の近代化へ――薩摩藩英国留学生渡欧の地

もう一つ、いちき串木野市を語るうえで絶対に外せない場所があります。
それが羽島です。
1865年、幕末の薩摩藩は、若者たちを密かに海外へ送り出すことを決断します。当時はまだ幕府による海外渡航の制限があった時代。そんな中、薩摩藩士の若者15名と、のちに初代大阪商工会議所会頭になった五代友厚、初代文部大臣に就任した森有礼、外務卿になった寺島宗則など、外交視察団などが、羽島からヨーロッパへ向けて旅立ちました。
彼らはイギリスをはじめとするヨーロッパで産業・技術・語学などを学び、帰国後、日本の近代化に大きな役割を果たしていきます。
現在は薩摩藩英国留学生記念館があり、その歴史を知ることができます。
戦国時代には武力によって九州を席巻した薩摩。それから約300年後、その薩摩の若者たちは「学ぶため」に海を渡りました。これもまた薩摩の歴史の面白さではないでしょうか。
島津貴久を祀る「大中公の廟」

そして島津氏との関係で注目したいのが、大中公の廟です。
「大中公」とは、島津家第15代当主・島津貴久のこと。島津貴久といえば、島津義久・義弘・歳久・家久という、いわゆる「島津四兄弟」の父です。
この供養塔は、貴久の御霊を祀るために建てられたものと伝えられています。
そして建てた人物こそ――島津家久です。
いちき串木野で一番推したい武将「島津家久」

ここからは、今回私が最も紹介したい人物です。
島津家久。
島津四兄弟の末弟であり、兄には島津義久、島津義弘、島津歳久がいます。この四兄弟がそろって活躍したことが、戦国時代後半に島津氏が九州屈指の戦国大名へ成長していく大きな原動力となりました。
その中でも家久は、特に軍事的才能に優れた武将として知られています。
そして、この島津家久と現在のいちき串木野市には深い関係があります。家久は串木野の地頭を務め、串木野城を拠点とした時期がありました。
つまり、全国的に知られる島津四兄弟の一人が、この町を治めていたのです。
島津家久の何がそんなにすごいのか?

沖田畷の戦い
家久の魅力は、なんといっても戦の強さです。島津家久を語るうえで欠かせない戦いが、1584年の沖田畷の戦い。島津・有馬連合軍と、九州最大級の勢力を築いていた龍造寺隆信の軍勢が激突します。
兵力は家久3,000、同盟軍の有馬晴信が3,000の合わせて6,000ですが、龍造寺軍は25,000という大軍で圧倒的不利な状況でした。
しかし島津・有馬軍は地形を利用して敵を誘い込み、龍造寺軍を撃破。「肥前の熊」と恐れられた龍造寺隆信を討ち取るという衝撃的な結果となりました。家久の名を九州中に知らしめた戦いの一つです。
戸次川の戦い
さらに1586年、豊臣秀吉による九州平定が迫る中で起こったのが戸次川の戦いです。島津家久率いる軍勢は、豊臣方として九州へ進出してきた四国勢などと激突。ここでも島津軍は勝利します。
この戦いでは、長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親や、十河存保らが討死。豊臣方に大きな損害を与えました。
沖田畷では龍造寺隆信。
戸次川では長宗我部信親。
九州戦国史の大きな転換点となる戦いで、家久はその軍事能力を発揮しています。
島津四兄弟というと、どうしても「鬼島津」と呼ばれた島津義弘が有名です。しかし戦歴を追っていくと、
「弟の家久も相当ヤバいぞ」
となってくる。これが島津家久の面白いところです。
「戦国一の釣り師」島津家久

そして家久を語るなら、ぜひ紹介したいのが島津軍お得意の戦術「釣り野伏」です。
敵と戦いながらあえて退却し
「島津が逃げた!」
と思わせて敵を誘い込み、伏兵と反転した部隊で一気に包囲・攻撃する。
「逃げる」という行為そのものを作戦に組み込んでしまうわけです。だからこそ、現代風に言えば、
「戦国一の釣り師」
という紹介も面白いと思います。
単純に力で押し切るのではない。敵の心理を読み、地形を読み、敵を動かしてから仕留める。島津家久は、まさに「戦術家」として紹介したい武将です。
そして受け継がれた家久の血――島津豊久

島津家久の物語は、本人だけでは終わりません。家久の子が島津豊久です。豊久が生まれたのは串木野城と言われています。
豊久の名を一躍有名にしたのが、1600年の関ヶ原の戦い。西軍に属した島津義弘隊は、敗戦が決定的となった戦場で敵中に取り残されます。そこで島津軍が選んだのが、後世「島津の退き口」と呼ばれる壮絶な敵中突破でした。
敵の大軍の中を正面突破して退却する。この撤退戦で、義弘を逃がすために奮戦した武将の一人が島津豊久です。
追撃してきた東軍には徳川四天王の一人・井伊直政がいました。豊久はこの撤退戦の中で戦い、命を落としたとされています。
父・家久が戦場で発揮した勇猛さ。その血は、息子の豊久にも受け継がれていました。
現在ではゲームなどの作品でも島津豊久と井伊直政の関係が描かれることがあり、歴史に詳しくない世代への入口を作ることもできます。
歴史会なら、いちき串木野市をどう広めるか?

さて、ここからは勝手に考えます。
もし歴史会が、いちき串木野市の歴史を使って地域をPRするとしたらどうするか?個人的には家久をかなり推したいところですが、実際にいちき串木野市を訪れてみると、地元では、串木野城で生まれたとされる島津豊久をかなり推していることが分かりました。
豊久をテーマにしたチラシなども作られており、過去には地元のコンビニで豊久にちなんだ「あんぱん」まで販売されていたそうです。また、豊久は父の家久の死後に、叔父の義弘に戦の心を学んだといわれています。実子同様に養育され、義弘を大変尊敬していたこともあり、義弘の飲茶万もあるようですね。

家久がこの地を治めたという歴史も大きな魅力ですが、「島津豊久が生まれた町」というのは、地域として非常に分かりやすい歴史資源です。しかも現在の豊久には、歴史だけではない強みがあります。
①「島津豊久生誕の地」をもっとコンテンツ化する
島津豊久は、漫画・アニメ『ドリフターズ』の主人公として描かれたことで、歴史ファン以外にも広く知られるようになりました。これは地域PRを考えるうえで非常に大きな入口です。
歴史にそれほど詳しくなくても、
「ドリフターズの島津豊久って、この町で生まれたの?」
というところから、いちき串木野市を知ってもらうことができます。そこから史実の豊久、串木野城、父・家久、そして島津氏の歴史へと興味を広げていく。
すでに地元で豊久を推しているのであれば、歴史会としてはそこにYouTube、ショート動画、SNS、ブログなどを組み合わせ、「島津豊久生誕の地・いちき串木野」を全国の歴史ファンへ発信していきたいところです。
② 家久と豊久、「島津親子」の町として広げる
そして、豊久だけで終わらせるのはもったいない。ここで父・島津家久の存在が効いてきます。
地元では「生誕の地」という明確な物語を持つ豊久を前面に出す。
そこから、
「実は父・家久も串木野城主だった」
と広げていく。この順番が面白いと思います。
父・家久には沖田畷や戸次川、子・豊久には関ヶ原と島津の退き口。全国的に知られる戦国史の舞台へ、それぞれの物語がつながっています。つまり、いちき串木野市は単なる「島津豊久生誕の地」ではなく
「島津家久・豊久親子ゆかりの町」
として発信できる可能性があります。二人をテーマにした歴史イベントや講演、親子の足跡を追う動画など、コンテンツの幅もかなり広がりそうです。
③「島津親子」を巡る歴史町歩きを作る
そしてオンラインで知ってもらった人には、実際にいちき串木野市へ来てもらいたい。そこで作りたいのが、家久・豊久親子をテーマにした町歩きです。
串木野城跡を中心に、島津氏に関係する史跡を巡りながら、途中でまぐろラーメンやさつま揚げなどの地元グルメも楽しむ。
歴史×食×町歩き
として一つの観光コンテンツにします。
「史跡があるから見てください」ではなく、家久から豊久へと続く物語を追いながら歩くことで、同じ場所でも見え方は大きく変わります。
さらに豊久をテーマにした商品やお土産が増えていけば、「歴史を知る」「歩く」「食べる」「買う」までを町の中でつなげられます。
④「海から世界へ」という、もう一つの歴史ルート
そして島津親子とは別に、もう一つ作りたいのが
「世界へつながった町・いちき串木野」
という歴史ルートです。
1598年には海の向こうからやって来た陶工たちによって薩摩焼の歴史が始まり、1865年には逆に薩摩の若者たちが羽島から海を渡り、世界へ飛び出していきました。
海外から薩摩へ――薩摩焼。
薩摩から海外へ――英国留学生。
方向は正反対ですが、どちらも「海」によって世界とつながっています。
戦国好きには島津家久・豊久。
幕末好きには薩摩藩英国留学生。
文化好きには薩摩焼。
それぞれ違う入口を作ることで、より幅広い人にいちき串木野市を知ってもらえると思います。
⑤「この町から外の世界へ挑戦する」という物語
さらに現代までつなげるなら、個人的にはこのテーマも面白いと思います。
「この町から、外の世界へ挑戦する」
戦国時代には、この地に生まれた島津豊久が各地の戦場へ。幕末には、若き薩摩藩士たちが羽島から世界へ。そして現代では、神村学園の若者たちがスポーツなどを通じて全国の舞台へ挑戦しています。
もちろん、それぞれ時代も背景もまったく違います。それでも、長い町の歴史を一本の物語として見たとき、
「人が育ち、ここから外へ飛び出していく町」
という見せ方はできるのではないでしょうか。
島津豊久を入口にして、家久へ、島津氏へ。さらに薩摩焼、英国留学生、食文化、そして現代へ。
一つひとつの歴史をバラバラに紹介するのではなく、それぞれをつなぎ合わせて「いちき串木野市だからこそ語れる物語」にして発信する。そんな地域プロデュースをしてみたいですね。
歴史を知ると、町の見え方が変わる

今回、いちき串木野市について調べてみると、最初に想像していた以上に歴史の素材が詰まった町でした。
マグロの町。
さつま揚げの町。
薩摩焼発祥の地。
薩摩藩英国留学生が世界へ旅立った地。
そして、戦国時代屈指の戦術家・島津家久ゆかりの地。
一見すると、それぞれ別々の話に見えます。しかし町の歴史を掘り下げていくと、
戦国、文化、幕末、食、スポーツ、そして現代。
それぞれが「いちき串木野」という一つの土地の上でつながってきます。これこそが、地域の歴史を知る面白さだと思います。
有名な観光地だから行くのではない。
物語を知ったから、その町へ行ってみたくなる。
歴史会では、そんなきっかけを日本全国につくっていきたいと思っています。
次に鹿児島を訪れるときは、鹿児島市や桜島だけではなく、ぜひ西へ。まぐろラーメンを食べ、薩摩焼の始まりを知り、英国へ旅立った若者たちの海を眺め、そして島津家久の足跡をたどる。
そんな「歴史旅」をしてみてはいかがでしょうか。
あなたの町の歴史も、コンテンツにしてみませんか?

歴史会では、歴史を「学ぶ」だけではなく、地域に眠っている歴史を掘り起こし、現代に伝える活動にも取り組んでいます。
日本各地には素晴らしい歴史があるにもかかわらず、その魅力が十分に知られていない地域がまだまだあります。
歴史会では、自治体・観光協会・商工会議所・企業・地域団体などからのご相談を受け、地域史の調査、歴史コンテンツの企画、歴史講演・セミナー、人物や史跡のストーリー制作なども行っています。
さらに歴史会をプロデュースする映像制作会社と連携することで、歴史を調べて終わりではなく、
「調べる → 物語にする → 映像にする → 発信する」
ところまで一貫してプロデュースすることができます。
地域の歴史調査や年間コンテンツ企画をはじめ、PR動画・YouTube・ショート動画などの映像制作、WEB・ブログコンテンツ、SNSでの継続的な情報発信、歴史イベントや講演など、地域に合わせた形で組み合わせることも可能です。
例えば
「うちの町にも面白い歴史があるけれど、どう発信すればいいか分からない」
「地域の偉人や史跡を観光や教育につなげたい」
「歴史を活用した動画やSNSコンテンツを継続的に発信したい」
そんなご相談があれば、ぜひ歴史会へお問い合わせください。歴史は、残しておくだけでは次の世代には伝わりません。
地域に眠る歴史を掘り起こし、面白く伝え、人を動かし、町への愛着につなげていく。
それもまた、歴史会が取り組んでいきたい活動の一つです。
歴史をもっと深く、仲間と共に学びたい方へ──歴史会のご紹介

この記事を読んで「もっと歴史との接点を探ってみたい」と感じた方に、ぜひお伝えしたいコミュニティがあります。
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歴史会で得られること
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