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勝手に町の歴史を紹介!「福島県白河市」

2026年08月11日

カテゴリー:勝手に街の歴史を紹介

勝手に町の歴史を紹介!「福島県白河市」

福島県白河市は、古代から「東北の玄関口」として日本史のさまざまな場面に登場してきました。白河関から白河結城家、小峰城、丹羽長重、松平定信、戊辰戦争の白河口の戦い、そして現代の「白河の関越え」まで。時代を超えて受け継がれてきた「境界の町」という視点から、白河の歴史と魅力をたどります。

古代から「東北の玄関口」であり続けた歴史の町

日本には、まだまだ知られていない歴史を持った町がたくさんあります。

有名な観光地や城下町だけではなく「こんなところに、こんな歴史があったのか!」という町を歴史好きの目線から勝手に紹介していくこの企画。そして私自身がセミナーなどで訪れた街でもあります。

今回紹介するのは、福島県白河市です。

 

白河と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。

白河ラーメン、小峰城、白河の関、松平定信……。

実は白河の歴史を古代から追いかけていくと、一つのキーワードが浮かんできます。

それが

「東北の玄関口」

です。

古代の白河関から、鎌倉・南北朝、戦国、江戸、幕末、そして現代の高校野球に至るまで、白河は何度も「ここから先が東北」という象徴的な場所として日本史に登場してきました。

今回はそんな白河市の歴史を紹介します。

東京から新幹線で約1時間15分!福島県白河市

白河市は福島県中通りの南端、栃木県との県境に近い場所に位置しています。

まさに地理的にも「東北の入口」にあたる町です。

東京から向かう場合、東北新幹線を利用すれば東京駅から新白河駅まで約1時間15分。新白河駅から東北本線に乗り換えると白河駅へ行くことができます。

車の場合は東北自動車道を利用でき、浦和ICから白河ICまでは約1時間40分。白河中央スマートICもあり、首都圏から比較的アクセスしやすい町です。

2026年7月1日現在の人口は55,251人。

名物として特に有名なのが白河ラーメンです。手打ちのちぢれ麺を特徴とし、市内には数多くのラーメン店があります。

さらに白河だるまや、松平定信の時代から続く茶文化とも関係の深い和菓子、南湖公園名物の南湖だんごなども白河らしい文化です。

「歴史の町を歩いて、最後に白河ラーメン」

これだけでも十分に魅力的な旅になりそうです。

「ここから先はみちのく」白河関

白河の歴史を語るうえで、まず外すことができないのが白河関です。
「白河」という地名は奈良時代の文献にも確認され、大化改新以後には陸奥国白河郡が置かれました。
そして陸奥国と下野国の境界に設置されたのが白河関です。
白河関は古代の東北地方への重要な入口であり、以後、白河は「奥州の関門」として重要な役割を担っていきます。

この「白河を越える」という感覚は、後世の人々にも受け継がれていきました。
1689年「奥の細道」の旅を続けていた松尾芭蕉も白河へやってきます。

芭蕉は白河の地にたどり着き
「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」
と記しています。
白河まで来て、いよいよ「みちのく」へ入っていく。
芭蕉にとって白河は、旅の一つの大きな境目だったのでしょう。

約400年間、白河を治めた白河結城氏

鎌倉時代になると、白河庄は源頼朝のもとで活躍した武将・結城朝光に与えられます。
ここから朝光の一族である「白河結城家」が、およそ400年間にわたって中世の白河を支配していきました。
特に南北朝時代に活躍した結城宗広は、奥州における南朝方を代表する武将として知られています。
白河結城家の本拠は白川城でしたが、南北朝時代には宗広の嫡男・結城親朝によって小峰城が築かれたとされています。
現在の白河を象徴する小峰城の歴史は、この南北朝時代まで遡るのです。

蒲生秀行、そして丹羽長重が築いた城下町

豊臣秀吉による奥羽仕置によって白河結城氏が改易されると、白河は会津領となります。蒲生秀行が領主だった時代には、小峰城や城下町の整備が進められたと考えられています。

そして江戸時代に入った1627年、白河藩の初代藩主となったのが丹羽長重です。

丹羽長重は織田信長に仕えた名将・丹羽長秀の嫡男で、小峰城を大改修するとともに城下町を整備し、現在の白河市街地につながる基礎を築いていきました。

さらに江戸時代の白河は、交通の要衝でもありました。

江戸幕府が整備した五街道の一つ「奥州道中(奥州街道)」において、幕府の道中奉行が管轄する街道の終着地が白河宿でした。

古代には白河関。

江戸時代には奥州街道。

時代が変わっても白河が「東北への入口」であり続けたことが分かります。

「寛政の改革」松平定信

白河藩主の中で全国的にも特に有名なのが松平定信です。

徳川吉宗の孫にあたる定信は白河藩主となり、のちに老中首座として幕政を担い「寛政の改革」を行いました。

しかし定信は江戸で政治改革をしただけの人物ではありません。

白河では、古代から伝わる白河関跡の場所を調査・特定したほか、1801年には「士民共楽」という考えのもと南湖を築造しました。

現在の南湖公園です。

政治家としてだけではなく、文化人としての側面を持っていた定信。白河の歴史や文化を考えるうえでも非常に重要な人物です。

戊辰戦争「白河口の戦い」

そして幕末。白河は再び「東北の入口」であるがゆえに、日本史の大きな戦いの舞台となります。

1868年の戊辰戦争です。新政府軍と奥羽越列藩同盟軍が激突した白河口の戦いでは、白河をめぐって激しい攻防が繰り広げられました。

なぜ白河だったのか。

それもやはり、ここが関東から東北へ進む重要な玄関口だったからでしょう。

この戦いによって小峰城では三重櫓や本丸御殿、門など主要な建物が焼失し、城は落城しました。

古代から「入口」として栄えてきた白河は、その重要性ゆえに幕末には激戦地にもなったのです。

平成の白河、そして「白河の関越え」

明治以降も白河の町は発展を続け、1949年に白河市が誕生。そして2005年、白河市・表郷村・大信村・東村が合併し、現在の「白河市」となりました。

そして現代になって、再び「白河の関」という言葉が全国を駆け巡ります。

高校野球です。

長年、東北勢が甲子園で優勝できない状況は、

「優勝旗が白河の関を越えられない」

と表現されてきました。しかし2022年夏、宮城県の仙台育英高校が全国制覇。

東北勢として春夏を通じて初めて甲子園の頂点に立ち「優勝旗が白河の関を越えた」と大きな話題になりました。

古代に設けられた関が、千年以上の時を経てもなお「東北への境界」として日本人の言葉の中に生き続けている。これは白河という町の歴史を象徴する、とても面白い出来事だと思います。

歴史会なら白河をどう広めるか?

白河には本当に多くの歴史があります。

白河関、白河結城氏、小峰城、蒲生秀行、丹羽長重、松平定信、奥州街道、松尾芭蕉、戊辰戦争……。

しかし、歴史資源が多いからこそ、一つ一つをバラバラに紹介すると「結局、白河って何の町なの?」となってしまう可能性もあります。

さらに福島県には、全国屈指の歴史観光地である会津若松があります。

鶴ヶ城、白虎隊、会津藩、戊辰戦争など「福島県の歴史=会津」という印象を持つ人も少なくありません。

そこで歴史会なら、会津と同じ土俵で勝負するのではなく、白河にしかない物語を前面に出します。

そのキーワードが、

「みちのくの入口・白河」

です。

古代には白河関が置かれた。

中世には関東と奥州を結ぶ要衝として白河結城氏が支配した。

江戸時代には奥州街道が通り、松尾芭蕉もここから「みちのく」へ入った。

幕末には東北への入口をめぐって白河口の戦いが起きた。

そして現代には、甲子園の優勝旗が「白河の関を越えた」。

これだけ時代の異なる歴史が、すべて「東北の玄関口」という一つの言葉でつながります。

例えば、

「白河の関を越える旅」

という歴史観光ルートを作っても面白いでしょう。

白河関から始まり、白河結城氏、小峰城、奥州街道、松平定信ゆかりの南湖公園、戊辰戦争の史跡へ。

単に史跡を巡るのではなく、

「なぜ歴史上の人々は白河を越えたのか?」

をテーマに町全体を一つの物語にするのです。

さらに「関を越える」という言葉には、新しいことへ挑戦するという現代的な意味も持たせられます。

甲子園の「白河の関越え」もその象徴でしょう。

歴史観光だけではなく、スポーツ、教育、地域イベントなどにも展開できる可能性があります。

会津が「目的地」なら、白河は「入口」。

白河を通って、多くの武将が、多くの旅人が、多くの文化が東北へ入っていった。だからこそ白河は、東北の歴史を語る「第一章」になれる町なのではないでしょうか。

古代から現代まで、千年以上にわたって「東北の玄関口」であり続けてきた白河。歴史を知ってから町を歩けば、小峰城も白河関も奥州街道も、それまでとは少し違って見えてくるはずです。

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歴史会講師 井坂陽一

記事の執筆者:

歴史会講師 井坂陽一
歴史会主催 / 講師 
SISeI合同会社 代表

ベーシストとしてロサンゼルスに留学。その後、音楽専門学校講師やREC、LIVEなど音楽活動を続けるが、一転してSISel合同会社を設立。
企業のPVやMVを中心に動画を制作し、中長期的プロモーションの戦略を提案するクリエイティブコンサルタントも行う。
2021年に一般社団法人寺子屋経営塾を新たに立ち上げ「徳ある経営の実践」をテーマに代表理事として運営。歴史やDX、SNSなど、全国でセミナー講師としても活動中。

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