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勝手に町の歴史を紹介!「北海道余市郡余市町」

2026年09月22日

カテゴリー:勝手に街の歴史を紹介

勝手に町の歴史を紹介!「北海道余市郡余市町」

北海道余市町は、ニッカウヰスキーで知られる一方、古代のフゴッペ洞窟からアイヌの人々、ニシン漁、会津藩士の入植、果樹栽培、ワイン産業まで、多彩な歴史を持つ町です。この記事では、海と大地の恵みを生かしながら、時代ごとに新しい産業と文化を築いてきた余市の歩みをたどります。観光地や名産品の背景を知ることで、ウイスキーだけではない余市の奥深い魅力が見えてきます。

日本全国には、有名な観光地だけではなく、その土地を少し掘り下げてみるだけで面白い歴史が次々と出てくる町があります。
そこで歴史会では、私が実際に訪れた町を中心に、その町の名物や観光スポット、そして意外と知られていない歴史を「勝手に」紹介していきます。

今回ご紹介するのは、北海道後志総合振興局管内の余市郡余市町です。

余市と聞いて、最初に「ニッカウヰスキー」を思い浮かべる人は多いでしょう。しかし、その歴史をたどると、フゴッペ洞窟、アイヌの人々、松前藩、ニシン漁、会津藩士による開拓、リンゴ栽培、幸田露伴、竹鶴政孝、スキージャンプ、宇宙飛行士の毛利衛さん、そして現在のワイン産業まで、驚くほど多彩な物語が詰まっています。

余市は、ウイスキーだけの町ではありません。海と山、漁業と農業、古代史と近代産業が重なり合う、非常に奥深い町なのです。

余市町はどこにある?

余市町は、北海道西部、積丹半島の東の付け根に位置しています。北側は日本海に面し、それ以外の三方を緩やかな丘陵地に囲まれています。

住所上の正式な自治体名は「北海道余市郡余市町」で、北海道庁の出先機関である後志総合振興局の管内にあります。
人口は約1万6,500人。小樽市を除く後志総合振興局管内の町村では、最も人口の多い町です。ただし、人口は長期的に減少しており、2014年には過疎地域に指定されました。

面積は約140平方キロメートル。そのうち約3分の2を山林が占め、余市川流域を中心に市街地や農地、果樹園が広がっています。
日本海沿岸の一部は、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に含まれています。シリパ岬、ローソク岩、えびす岩、大黒岩など、余市を代表する雄大な海岸風景も見どころです。
余市川は北限のアユが生息する川としても知られています。

余市町は、小樽市から車で約30分、ニセコ町から約70分の場所にあります。
札幌市からは、2018年に後志自動車道の小樽ジャンクションから余市インターチェンジまでが開通したことで、60分圏内になりました。札幌市内の出発地点や交通状況によっては、50分ほどで到着することもあります。
新千歳空港からは、高速道路を利用して約1時間30分が目安です。
鉄道の場合は、JR函館本線を利用します。札幌駅から小樽駅まで行き、小樽駅で長万部方面の列車に乗り換えて、余市駅まで向かうのが一般的です。
小樽から余市までは、蘭島、塩谷、余市のわずか3駅ですが、現在は高速道路の開通によって、札幌からなら鉄道よりも自動車のほうが早く、移動しやすい場合があります。余市は、北海道内では比較的アクセスのよい町なのです。

果物と魚、酒に恵まれた町

余市町は「北のフルーツ王国」と呼ばれる果樹の町です。
リンゴ、ブドウ、梨、サクランボ、プルーン、モモ、イチゴなど、さまざまな果物が栽培されています。果物狩りを楽しめる観光農園もあり、季節ごとに異なる味覚を楽しむことができます。

日本海に面しているため、水産物にも恵まれています。ニシンのほか、エビ、タラ、カレイ、イカ、サケ、ウニなどが水揚げされ、身欠きニシン、数の子、燻製といった水産加工品も作られてきました。
余市には、豊富な農産物や水産物を加工する食品会社も多くあります。
リンゴジュース「りんごのほっぺ」、ウイスキー、ワイン、身欠きニシンなどは、余市を代表する加工品です。
町のマスコットキャラクターは、ニシン漁とソーラン節をモチーフにした「ソーラン武士!!」です。

古代の謎を伝えるフゴッペ洞窟

余市町の歴史を語るうえで欠かせないのが、国指定史跡のフゴッペ洞窟です。
フゴッペ洞窟は1950年に発見されました。洞窟内から出土した土器や骨角器などの分析により、およそ2,000年前から1,500年前の続縄文時代に属する遺跡と考えられています。
最大の特徴は、岩壁に残された800を超える刻画です。
そこには、人間のような姿、舟、魚、海獣、四本足の動物などが刻まれています。特に印象的なのが、角や翼を身につけたように見える人物像です。これらはシャーマンの姿を表し、洞窟が宗教的な儀礼の場として使われていたのではないかとも推測されています。

岩壁に刻画を残す洞窟遺跡は、日本国内では小樽市の手宮洞窟と並ぶ極めて珍しい存在です。
余市には、フゴッペ洞窟だけでなく、西崎山環状列石など数多くの遺跡があります。この土地には明治の開拓よりもはるか以前から、人々の暮らしと祈りがあったのです。

アイヌの人々と松前藩

近世以前の余市周辺では、アイヌの人々が漁労や狩猟、交易を行いながら暮らしていました。
江戸時代に入ると、松前藩は蝦夷地各地に「場所」と呼ばれる交易や漁業の区域を設けます。

1599年、松前慶広は余市川の右岸を松前左膳に与えて「上ヨイチ場所」とし、左岸を松前八兵衛に与えて「下ヨイチ場所」としました。
やがて場所請負人が交易や漁場経営を担うようになると、余市でもニシンを中心とした漁業開発が進められました。その一方で、場所請負制度のもとでは、アイヌの人々が不利な交易や厳しい労働を強いられたことも知られています。

現在の余市には、こうした時代を伝える「旧下ヨイチ運上家」が残されています。
運上家とは、場所請負人が交易や漁場経営の拠点として使用した施設です。旧下ヨイチ運上家は、北海道内に現存する唯一の運上家で、国の重要文化財に指定されています。

シャクシャインの蜂起と茂入山城跡

余市町の茂入山には「茂入山城跡」があります。
茂入山は「モイレ山」とも呼ばれ、現在は円山公園などが整備されている小高い山です。
茂入山城跡は、1669年に起こったシャクシャインの蜂起の際、松前藩兵によって築かれた城塞遺跡ではないかと考えられてきました。
シャクシャインの蜂起は、日高地方を中心とするアイヌ勢力と松前藩との間に起こった大規模な戦いです。交易条件などをめぐる不満を背景に戦いが広がり、松前藩は各地の警戒や防備を強めました。
茂入山城跡も、余市周辺の守りを固めるために築かれた可能性があります。

ただし、現地では本格的な発掘調査が行われていません。そのため、築造された正確な年代や構造、シャクシャインの蜂起との具体的な関係については、現在も詳しいことが分かっていません。
「城跡」という名称は付いていますが、本州の戦国大名が築いたような天守や石垣を持つ城とは異なります。
余市に松前藩とアイヌの人々との緊張関係を伝える可能性のある遺跡が残されていること、その詳細がいまだ謎に包まれていること自体が、茂入山城跡の興味深いところです。

ニシン漁とソーラン節

余市の町の基礎を築いた産業がニシン漁です。
かつて春になると、産卵のために大量のニシンが北海道の沿岸へ押し寄せました。ニシンによって海が白く濁る現象は「群来」と呼ばれます。

ニシンは食用になるだけでなく、油や肥料の原料にもなりました。ニシンから作られた魚かすは本州へ運ばれ、綿花、藍、菜種などの商品作物を育てる肥料として使用されました。
余市には、ニシン漁で財を築いた漁場経営者の施設「旧余市福原漁場」が残されています。主屋、文書庫、米味噌倉、網倉などが残り、当時の大規模な漁場経営を知ることができます。
ニシン漁の作業歌として歌われた「ソーラン節」について、余市町は発祥の地を掲げています。豊浜町には「ソーラン節発祥之地」の碑が建てられています。
現在も町では北海ソーラン祭りが開催され、ニシン漁の記憶が地域文化として受け継がれています。

しかし、余市沿岸では1954年を最後に大規模なニシンの回遊が途絶えました。
「ニシンを取りすぎたため」と説明されることもありますが、実際には過剰な漁獲だけでなく、海水温、海流、産卵環境など複数の要因が関係したと考えられています。
近年は北海道の日本海沿岸でニシンの資源量が回復し、余市周辺でも再び群来が見られるようになりました。現地の飲食店では、新鮮なニシンを刺身や寿司で食べることもできます。
一方、近年のニシンは脂が乗りすぎて、従来の加工には向かない場合もあるという話を現地で聞きました。

また、海水温の変化などによって、以前は北海道で珍しかったブリの水揚げが増えています。余市の漁業は、戻ってきたニシンと新しく増えた魚の両方に向き合う時代を迎えています。

会津藩士の入植とリンゴ「緋の衣」

1869年、蝦夷地が北海道と改称されると、余市にも開拓使の役人が派遣されました。
1871年には、戊辰戦争で敗れた旧会津藩の人々が余市へ入植します。
会津藩士たちは、慣れない北の土地で農地を開き、新しい生活を築きました。1875年には、開拓使がアメリカから取り寄せたリンゴなどの苗木を余市の農家へ配布します。
1879年にはリンゴが実を結び、余市は北海道を代表する果樹の町へと発展していきました。

このとき栽培に成功したリンゴの一つが「緋の衣」です。余市では、日本国内で初めて民間農家による西洋リンゴの栽培・結実に成功した歴史があるとされています。
緋の衣は、旧会津藩士の赤羽源八らによって育てられました。その名前にも、会津の人々が抱いていた故郷への思いが込められているといわれます。
この歴史的なつながりから、余市町は2015年に福島県会津若松市と親善交流都市となりました。
リンゴは余市の特産品であると同時に、会津藩士の移住と再出発を現在に伝える存在なのです。

奈良県五條市との交流

余市町は、奈良県五條市とも交流都市提携を結んでいます。

交流の始まりは1966年です。奈良県立五條高等学校賀名生分校の生徒が、余市町の農家で体験学習を行ったことをきっかけに、長年にわたる交流が続きました。

2014年には災害時応援協定を締結し、2015年に正式な交流都市となっています。

余市と五條は遠く離れていますが、果樹栽培という共通点があります。歴史的な出来事だけでなく、農業や人々の交流によって結ばれてきた関係です。

若き日の幸田露伴が暮らした町

余市は、明治の文豪・幸田露伴とも深い関係があります。
『五重塔』などで知られる幸田露伴は、本名を幸田成行といいます。1885年、18歳の成行は電信技手として余市へ赴任し、現在の北海道立総合研究機構中央水産試験場付近にあった余市電信分局で働きました。
当時の余市は、ニシン漁で大いににぎわっていました。
しかし、幸田青年は電報のキーを打ち続ける生活のなかでも、文学への夢を捨てることができませんでした。辞職を申し出てもなかなか認められなかったため、1887年、任期の途中で余市を離れ、東京を目指します。
この旅は、後に『突貫紀行』としてまとめられました。

旅の途中で詠んだ「里遠しいざ露と寝ん草枕」という句から、「露伴」という号が生まれたとされています。つまり、文豪・幸田露伴の名は、余市を飛び出した旅と結びついているのです。
中央水産試験場の敷地内には、1956年に余市郷土研究会が建立した「文豪幸田露伴句碑」があります。
句碑には、
「塩鮭のあ幾と風吹く寒さかな」
という句が刻まれています。

余市は露伴にとって、決して楽しい思い出だけの土地ではなかったかもしれません。しかし、その閉塞感から飛び出した経験が、文学者として生きる決意につながりました。
余市は、幸田露伴の文学人生が動き始めた町ともいえるのです。

竹鶴政孝とニッカウヰスキー

1934年、竹鶴政孝は余市で大日本果汁株式会社を創業しました。現在のニッカウヰスキーです。
竹鶴はスコットランドで本格的なウイスキー造りを学び、日本で理想のウイスキーを作るための土地を探していました。
余市は冷涼で湿潤な気候、水、空気、海に近い環境などがスコットランドに似ており、ウイスキー造りに適していると竹鶴は考えました。
現在のニッカウヰスキー余市蒸溜所では、石炭を使って蒸溜釜を加熱する伝統的な「石炭直火蒸溜」が受け継がれています。

竹鶴政孝とスコットランド出身の妻リタをモデルにしたNHK連続テレビ小説『マッサン』が2014年から2015年に放送されると、全国から多くの観光客が余市を訪れました。
ニッカウヰスキー余市蒸溜所の建造物10棟は、2021年に国の重要文化財に指定されています。

竹鶴政孝はウイスキーを作っただけでなく、余市町議会議員、余市体育連盟初代会長、余市商工会議所初代会頭なども務めました。余市の地域づくりにも深く関わった人物です。
また、余市町はリタの故郷にあたるスコットランドのイースト・ダンバートンシャー地域と姉妹都市提携を結んでいます。

ウイスキーの町からワインの町へ

現在の余市が特に力を入れているのがワインです。余市町には、北海道内一の生産量を誇るワイン醸造用ブドウのヴィンヤードがあります。

余市産のブドウは町内のワイナリーだけでなく、町外や道外のワイナリーにも出荷されています。そのため、ラベルには別の地域のワイナリー名が書かれていても、原料のブドウは余市産というワインが少なくありません。余市は道内一のワイン用ブドウ産地であり、北海道ワインを原料面から支えているのです。

2011年には、構造改革特別区域法による「北のフルーツ王国よいちワイン特区」に認定されました。これにより、小規模な生産者もワイン造りへ参入しやすくなりました。

現在は町内に複数のワイナリーがあり、ブドウ畑を巡りながらワインを楽しむワインツーリズムも行われています。余市は今、「ウイスキーの町」という知名度を生かしながら、「北海道を代表するワインの町」へと新しい物語を作ろうとしています。

ジャンプ王国と宇宙飛行士

余市町には「ジャンプ王国」という、もう一つの顔があります。余市町や余市高校からは、数多くのスキージャンプ選手が誕生しました。
札幌オリンピックの70メートル級ジャンプで金メダルを獲得した笠谷幸生、長野オリンピックで金メダルを獲得した船木和喜、団体金メダリストの斉藤浩哉など、日本のスキージャンプ史を代表する選手たちと深い関係があります。
余市駅に併設された観光物産センター「エルラプラザ」には、ジャンプ王国余市展示ホールがあります。
果物、ニシン、酒の町という印象が強い余市ですが、日本のウインタースポーツを支えた町でもあるのです。

そして、日本人宇宙飛行士の毛利衛さんも、余市町出身です。
毛利さんは1992年と2000年の2度、スペースシャトルに搭乗し、さまざまな科学実験を行いました。
町内には「余市宇宙記念館・スペース童夢」があり、宇宙開発や科学について学ぶことができます。毛利さんが最初に宇宙へ飛び立った9月12日は「毛利記念日」とされ、関連イベントも行われています。
ニシン漁と果樹栽培で発展した町から、世界を越えて宇宙へ飛び立った人物が生まれたというのも、余市の面白さです。

歴史会として余市町を広めるなら

歴史会として余市を発信するなら、観光地を一つずつ紹介するのではなく
「海と果実が町を変えてきた歴史」という一本の物語でつなぐのがよいと思います。

たとえば
「古代の洞窟からウイスキーとワインまで」
という歴史ツアーを企画します。

フゴッペ洞窟
↓
アイヌの歴史
↓
茂入山城跡とシャクシャインの蜂起
↓
旧下ヨイチ運上家
↓
旧余市福原漁場とニシン漁
↓
会津藩士とリンゴ「緋の衣」
↓
幸田露伴句碑
↓
ニッカウヰスキー余市蒸溜所
↓
余市のヴィンヤードとワイナリー

この流れで巡れば、余市の約2,000年に及ぶ歴史を一つの旅として体験できます。
さらに、歴史と食を組み合わせます。
ニシンの刺身や寿司、ブリ料理、リンゴ、ブドウ、余市産ワイン、ウイスキーを味わいながら、それぞれの食材が余市の産業をどう変えてきたのかを解説する企画です。

「ニシンからブリへ―変わる余市の海」
「会津藩士が育てたリンゴを食べる歴史会」
「竹鶴政孝が余市を選んだ理由」
「小樽からあと3駅の歴史旅」
「幸田露伴、余市からの脱出」
「北海道ワインを支える余市のブドウ」

こうした企画なら、他の北海道の町とは違う、余市独自の歴史を伝えられます。

小樽駅で集合し、切符の買い方から案内して、函館本線で余市へ向かう。
「あと3駅」を旅の物語として見せることで、ローカル線の不便さも体験の一部に変えられます。また、YouTubeやショート動画では、次のようなテーマが考えられます。

* 余市に残る謎の城跡とシャクシャインの蜂起
* 800を超える刻画が残るフゴッペ洞窟
* なぜ会津藩士は余市へ渡ったのか
* 日本の民間リンゴ栽培を支えた「緋の衣」
* 幸田露伴はなぜ余市から逃げ出したのか
* ニシンが消え、再び戻ってきた理由
* ソーラン節は余市で生まれたのか
* 竹鶴政孝はなぜ余市を選んだのか
* 北海道ワインを陰で支える余市のブドウ
* 金メダリストと宇宙飛行士を生んだ町

余市には、すでに十分すぎるほどの歴史と物語があります。
足りないのは観光資源ではなく、それらを一つにつなぎ、見せる仕組みなのだと思います。

余市は何度も新しい産業を作ってきた町

余市の歴史を振り返ると、この町は時代ごとに新しい産業を生み出してきたことが分かります。
古代には海とともに生きる人々の文化があり、近世にはアイヌの人々と松前藩との交易、ニシン漁が地域を動かしました。
明治になると会津藩士が入植し、リンゴをはじめとする果樹栽培が始まります。
昭和には竹鶴政孝がウイスキー造りを始め、平成から令和にかけてはワイン用ブドウとワイナリーが新しい産業として成長しています。
その一方で、人口減少や観光客の滞在時間、公共交通、地域資源を生かしたコンテンツ不足など、さまざまな課題もあります。
しかし、余市はこれまでも、ニシンが途絶えた後に果物や加工業を発展させ、さらにウイスキーやワインという新しい価値を作ってきました。

余市は、一日で北海道の古代から現代までを旅できる町です。
ウイスキーだけではない。ワインだけでも、ニシンだけでもない。
海と大地の恵みを受けながら、何度も自らの産業と物語を作り直してきたことこそ、北海道余市町の本当の魅力なのです。

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歴史会講師 井坂陽一

記事の執筆者:

歴史会講師 井坂陽一
歴史会主催 / 講師 
SISeI合同会社 代表

ベーシストとしてロサンゼルスに留学。その後、音楽専門学校講師やREC、LIVEなど音楽活動を続けるが、一転してSISel合同会社を設立。
企業のPVやMVを中心に動画を制作し、中長期的プロモーションの戦略を提案するクリエイティブコンサルタントも行う。
2021年に一般社団法人寺子屋経営塾を新たに立ち上げ「徳ある経営の実践」をテーマに代表理事として運営。歴史やDX、SNSなど、全国でセミナー講師としても活動中。

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