歴史会では、毎年8月に近代史をテーマにした講演を開催しています。
2026年のテーマは「大東亜戦争」でした。
今回、講師を務めたのは私ではなく、歴史会の濁川会頭です。講演前の打ち合わせで、彼が映画『開戦前夜』を観たと話しており、その内容が気になっていました。そこで先日、私も妻と一緒に映画館へ観に行ってきました。
この記事では、映画の内容にも触れながら、私が特に印象に残った場面や、作品を観て考えたことを書いていきたいと思います。
映画『開戦前夜』とは

映画『開戦前夜』は、猪瀬直樹氏のノンフィクション『昭和16年夏の敗戦』を原案とし、実在した「総力戦研究所」を描いた作品です。
舞台は、真珠湾攻撃の約8か月前となる1941年。
官僚、陸軍、海軍、民間企業などから選ばれた若きエリートたちが総力戦研究所に集められ「模擬内閣」を結成します。
彼らに与えられた任務は、日本がアメリカをはじめとする国々と戦争を始めた場合、どのような結果になるのかを予測することでした。
メンバーたちは、資源、兵力、生産力、輸送力、外交関係など、国家機密にあたる膨大な資料や数字をもとに、何度も議論とシミュレーションを重ねていきます。
その末に彼らが導き出した結論は
「日本必敗」
というものでした。
日本は開戦直後こそ優位に立つ可能性があるものの、戦争が長期化すれば資源が枯渇し、輸送船が失われ、やがて国力で勝るアメリカに圧倒される。
彼らは、日本が敗北へ向かっていく過程をかなり具体的に予測していました。
しかし、その報告を受けても、日本は戦争を止めることができませんでした。
勝てないことを知らなかったわけではありません。数字や資料が不足していたわけでもありません。
冷静に分析し「日本は負ける」と結論を出した人たちがいたにもかかわらず、日本は開戦へ突き進んでしまったのです。
映画『開戦前夜』は、なぜ日本がその道を止められなかったのかを、総力戦研究所に集められた人々の葛藤を通して描いています。
日本を戦争へ向かわせた「空気」

この作品の中では、何度も「空気」という言葉が使われます。
特定の誰か一人が強い意志をもって戦争を始めたというよりも、社会全体に漂う空気が、少しずつ日本を開戦へ向かわせていったのです。
日本は日露戦争で、当時の大国だったロシアに勝利しました。
その経験が
「日本は大国を相手にしても勝つことができる」
「今回も、なんとかなるのではないか」
という過信につながっていたように感じます。
もちろん、日露戦争と日米戦争では、置かれた状況も相手国の国力もまったく異なります。
実際には、資源、生産力、工業力、経済力など、あらゆる面でアメリカとの間に大きな差がありました。冷静に数字を比較すれば、長期戦になった時点で日本に勝ち目がないことは明らかでした。
それでも、社会には「日本が負けるはずがない」という空気が広がっていきます。
戦争に反対すれば臆病者と思われるかもしれない。弱腰だと批判されるかもしれない。場合によっては、非国民と見なされるかもしれない。
一度できあがった空気に対して、正面から反対意見を述べることは簡単ではありません。
陸軍も海軍も政府も、それぞれに問題を抱え、疑問を持ちながらも、自分たちだけでは決断の責任を負いたくない。
そうして誰もが決定的な責任を引き受けないまま、全体としては開戦へ進んでいきます。
正しい情報がなかったのではありません。
敗北を予測できる人がいなかったのでもありません。
「勝てない」という結論が出ていたにもかかわらず、それを受け入れることができない空気があったのです。そこに、この映画の最も恐ろしい部分があると思います。
日本人には大和魂がある

特に印象に残ったのが、陸軍側から「日本人には大和魂がある」という趣旨の発言が出た場面です。
それに対し、海軍側の人間が「アメリカ人にもヤンキー魂があります」と返します。
非常に単純な言葉ですが、戦争について考えるうえで重要な視点だと思いました。
精神力を否定するわけではありません。困難な状況に立ち向かう意志や、自分たちの国や家族を守ろうとする気持ちは大切です。
しかし、日本人に誇りや覚悟があるように、戦う相手にも誇りや覚悟があります。
日本人だけが勇敢で、日本人だけが祖国を愛し、日本人だけが最後まで戦い抜くと思い込むのは、あまりにも一方的です。
相手も同じ人間です。相手にも家族がいて、故郷があり、守りたい生活があります。
「日本人には大和魂があるから勝てる」という言葉は、数字や現実を無視するための精神論になってしまいます。都合の悪い数字から目をそらし、最後は精神力に頼る。それは本当の勇気ではなく、考えることをやめてしまっているだけではないでしょうか。
軍艦の損傷の向こう側にいる人間

戦争の被害を予測する場面では「軽微な損傷で済む」といった説明がなされます。
そこで主人公は、船の損傷については計算しているが、その船の上に何人の人間が乗っているのか、誰か計算したのかと問いかけます。この言葉も、強く心に残りました。
戦争を数字で考えると「軍艦一隻を喪失」「兵力数%減少」「被害は想定の範囲内」といった表現になります。
しかし、その船の上には、一人ひとり名前を持った人間がいます。
その人たちにも親がいて、妻や夫がいて、子どもがいて、帰りを待っている人がいます。
軍艦の損傷が軽微だったとしても、そこで命を落とした人にとっては、決して「軽微」ではありません。
国家や軍隊にとっては何万人のうちの一人でも、家族にとっては、かけがえのない一人です。
数字によるシミュレーションは、戦争の現実を把握し、戦争を回避するために必要です。
しかし、数字だけを見ていると、その向こう側にいる人間の姿が見えなくなってしまいます。
戦争の計画を立てる人間と、実際に戦場へ送られる人間は、多くの場合、同じではありません。
地図上では一本の線を引くだけでも、その線の先では何千、何万という人間が移動し、戦い、傷つき、命を落とします。
戦争における「損害」とは、兵器や物資が失われることだけではありません。
誰かの人生が終わり、その人と共に歩むはずだった家族の人生まで変えられてしまうことなのです。
何人が死に、どれだけの無念が残されるのか

主人公が「戦争によって何人の人が死に、どれだけの人が無念をのみ込まなければならないのか」と、涙ながらに訴える場面があります。
私は、この場面に作品の本質が凝縮されていたように感じました。
戦争を始める側は「国益」「資源」「自存自衛」「勝敗」といった大きな言葉を使います。しかし、実際に戦場へ送られ、傷つき、命を失うのは一人ひとりの人間です。
戦地で亡くなった人だけではありません。
帰りを待ち続けた家族、空襲で家や生活を奪われた人、故郷へ戻ることができなかった人、戦争が終わった後も心身に傷を抱えながら生きた人たちがいます。
一つの開戦の決断によって、数え切れないほどの人生が変えられ、数え切れないほどの無念が残されます。
その重さを本当の意味で理解したうえで、開戦について議論していた人は、どれほどいたのでしょうか。
国家全体のことを考える立場にいるほど、国民一人ひとりの顔が見えにくくなります。だからこそ、主人公の言葉は重要だったのだと思います。
数字を使って戦争を予測するだけでなく、その数字が意味する人間の死や、残される家族の悲しみまで想像しなければならない。その想像力を失ったとき、戦争は単なる作戦や計算の問題になってしまいます。
開戦を推し進めた側も、戦争を止められなくなる

作中の東條英機の描かれ方も印象的でした。
陸軍のトップとして大きな権力を持ち、ときにその権力を誇示していた東條英機が、物語の終盤では何とか戦争を止めようとします。
一般的に東條英機というと、日本を戦争へ導いた中心人物というイメージが強くあります。
もちろん、陸軍の指導者として負うべき責任がなくなるわけではありません。
しかし、この作品では、開戦を推し進めてきた側の人間でさえ、最後には自分たちがつくり出した大きな流れを止められなくなっていく姿が描かれていました。
なぜ、止められなかったのか。
その背景には、民意による圧力もありました。
国民の間にも、アメリカの要求を受け入れることは屈辱であり、弱腰の外交を続けるくらいなら戦うべきだという空気が広がっていました。政府や軍部が戦争を避けようとしても、国民から「弱腰だ」「なぜ戦わないのか」と批判される。
しかし、その強硬な世論をつくり、国民を煽ってきたのは、もともと陸軍をはじめとする軍部でもありました。
自分たちの立場を強めるために勇ましい言葉を使い、国民に危機感を与え、戦争も辞さないという空気をつくってきた。ところが、本当に戦争を避けなければならない段階になったときには、その空気が軍部や政府に向けられることになります。
一度煽った民意は、都合よく止めることができません。
「日本は強い」
「アメリカの圧力に屈してはならない」
「今こそ戦うべきだ」
そのような言葉を発し続けた結果、指導者自身も「戦わない」という選択ができなくなってしまったのです。これは、とても恐ろしい構造です。
権力を持つ人間が世論を利用しているつもりでも、やがてその世論によって自分自身が追い詰められていく。
国民を一定の方向へ導くためにつくり出した空気が、最後には誰にも制御できないものになっていく。
そして、仮に指導者の中に「この戦争は避けるべきだ」と考える人がいたとしても、これまで自分たちが国民へ伝えてきた言葉との矛盾によって、方向転換ができなくなります。
間違いに気づいたとき、「これまでの方針は誤っていた」と認めることができるか。
それは、国の指導者に限らず、組織を率いる人間すべてに問われることだと思います。
過去の発言や自分の立場を守るために、間違っていると分かっている道を進み続ければ、最後に大きな犠牲を払うのは、決定権を持たない人たちです。
「空気」は現代にも存在する

この映画を、80年以上前の日本だけの話として見ることはできません。作中で描かれた「空気」は、現代の社会にも存在します。
会議の方向性がおかしいと感じても、周囲が賛成しているから何も言わない。
失敗する可能性に気づいていても、責任を負いたくないため黙っている。
一度決まった方針だからと、誰も止めようとしない。
インターネットやSNSでも、強い言葉や分かりやすい主張ほど広がりやすく、冷静な意見や慎重な意見が「弱腰」と受け取られることがあります。
一度大きな流れができると、その流れに疑問を投げかける人が攻撃されることもあります。
規模は違っても、その構造は戦前の日本と大きく変わりません。
空気そのものには、姿も責任もありません。
「空気がそうさせた」と言っても、空気が責任を取ってくれるわけではありません。
私たち一人ひとりが空気に流されて沈黙することによって、空気は大きな力を持つようになります。
だからこそ、数字や事実を冷静に見て、たとえ周囲と違っても「本当にこのままでよいのか」と問い続ける人が必要なのだと思います。
家族と囲む食卓から感じた平和の尊さ

今年の8月は、私にとって本当に戦争について深く考えさせられる1か月になりました。
まず、アニメ映画『火垂るの墓』を観ました。
戦争によって日常を奪われ、過酷な状況の中を生きる兄妹の姿から、戦争で最も苦しむのは、政治や軍事の決定に関わることのできない一般の人々や子どもたちなのだと、改めて感じました。
そして歴史会では「大東亜戦争」をテーマにした講演を開催しました。
歴史的な経緯を振り返りながら、日本はなぜ戦争へ向かったのか、戦争によって何が起きたのかを学びました。
さらに今回、映画『開戦前夜』を観ました。
『火垂るの墓』が戦争によって日常を奪われた人々の姿を描いた作品だとすれば、『開戦前夜』は、その戦争が始まる前に、政治家や軍人、官僚たちが何を考え、なぜ開戦を止めることができなかったのかを描いた作品です。
戦争が始まるまでの政治的な決断と、戦争が始まった後に国民が直面する現実。
異なる立場から戦争を描いた作品や歴史に続けて触れたことで、開戦の決断と、その先で失われる一人ひとりの日常が、一本の線としてつながったように感じました。
そのようなことを考えながら映画館から家に帰り、子どもと妻と一緒にご飯を食べました。家族が同じ食卓を囲み、子どもが今日あったことを話し、みんなで何気ない時間を過ごす。
そのとき、私は改めて「平和とは、本当に尊いものなのだ」と感じました。
戦争がないということは、ただ爆弾が落ちてこないということではありません。
家族と一緒にご飯を食べられること。
子どもが安心して眠れること。
明日も同じように生活が続くと思えること。
仕事へ行き、学校へ行き、大切な人と何気ない会話を交わせること。
私たちが普段当たり前だと思っている日常のすべてが、平和の上に成り立っています。
しかし、今この瞬間も、世界のどこかでは戦争が起きています。
家を失った人、家族と離れ離れになった人、子どもを守るために逃げ続けている人、今日の食事さえ確保できない人がいます。私たちが家族と食卓を囲んでいる同じ時間に、戦争によって日常を奪われている人たちがいるのです。
平和な生活が長く続くと、私たちはそれを当たり前だと思ってしまいます。しかし、平和は決して自然に、永遠に続くものではありません。
過去に多くの人が犠牲となり、その悲しみと反省を積み重ねてきたからこそ、現在の日本の平和があります。
だからこそ、今ある平和を当たり前のものだと思ってはいけない。歴史を学び、戦争によって何が失われたのかを知り、同じ過ちを繰り返さないために考え続けなければならないと思います。
歴史を知ることは、同じ失敗を繰り返さないため

日本は、何も知らないまま戦争を始めたわけではありません。開戦すれば日本が敗北する可能性が高いことを、事前に予測していた人たちがいました。それでも、その声は時代の空気にのみ込まれてしまいました。
映画『開戦前夜』を観て改めて感じたのは、戦争そのものの恐ろしさだけではありません。
人間は、正しい情報を持っていても、空気に流されれば誤った決断をしてしまうという恐ろしさです。
さらに恐ろしいのは、その空気をつくり出した側でさえ、最後には空気を制御できなくなることです。
歴史を学ぶ意味は、過去の出来事や年号を覚えることだけではありません。
なぜ間違ったのか。
なぜ止められなかったのか。
誰が悪かったのかだけで終わらせず、当時の政治家、軍人、国民、報道機関が、どのように影響し合っていたのかを考える必要があります。
そして、自分が同じ場所にいたら、空気に逆らって声を上げることができたのか。
そこまで考えてこそ、歴史を現代に生かすことができるのだと思います。
「なんとなく勝てるだろう」
「みんながそう言っているから」
「ここまで来たら、もう後戻りはできない」
そのような空気が国全体を覆ったとき、取り返しのつかない決断が下されました。
その結果、戦場へ送られた人、空襲で命を落とした人、家族を失った人、故郷へ帰れなかった人など、数え切れないほどの犠牲と無念が生まれました。
戦争によって失われた一人ひとりの命を、単なる数字として捉えないこと。
家族と囲む食卓や、子どもたちが安心して過ごせる日常を、決して当たり前だと思わないこと。
そして、周囲の空気に流されず、自分の頭で考え続けること。
映画『開戦前夜』は、戦争の歴史を描いた作品であると同時に、今を生きる私たちに、その大切さを問いかける作品だったと思います。
歴史をもっと深く、仲間と共に学びたい方へ──歴史会のご紹介

この記事を読んで「もっと歴史との接点を探ってみたい」と感じた方に、ぜひお伝えしたいコミュニティがあります。
歴史会は、歴史好きが集まり語り合い、共に学ぶサークル・コミュニティです。毎月テーマを変えながら開催される歴史セミナーでは、教科書では触れられない人物の裏話や時代背景、そして現代に通じる視点から歴史を掘り下げています。
歴史会で得られること
- 歴史を語れる仲間ができる──20代〜50代と幅広い年代のメンバーが在籍。共通の話題があれば、年の差は関係ありません。
- 仕事・人生に役立つ知識を得られる──戦略、リーダーシップ、信念、人間関係…歴史には現代に通じる”生きるヒント”が詰まっています。
- 参加するほど”階級”が上がる成長制度──参加を重ねるごとに階級が上がり、「上級武士」へと昇格すると運営参画権や特典も得られます。
会員特典と料金
通常会員(入会金5,000円・月会費3,000円)に入会すると、毎月の歴史セミナーが無料で参加できるほか、会員限定イベントや配布物、各種イベント割引、過去のアーカイブ動画見放題などの特典が受けられます。
遠方にお住まいの方や、忙しくてなかなか足を運べない方には、オンライン会員(入会金5,000円・月会費2,000円)もご用意。ご自宅からいつでも講義アーカイブを視聴できます。また、活動を応援したい方向けに賛助会員(月会費500円)という選択肢もあります。
「歴史は好きだけど、話せる友達がいない」「もっと深く、新しい視点で学んでみたい」──そんな思いを持つ方にとって、歴史会はきっとぴったりの場所になるはずです。














